『ウィッチウォッチ』14話レビュー|「うろんミラージュ」完全版&日常パートの感情描写がすごい!

ファンタジー

「これ、別アニメじゃないの?」

2025年7月6日放送の『ウィッチウォッチ』第14話。
そのAパートは、視聴者のそんな戸惑いから始まりました。

劇中アニメ『うろんミラージュ』が、10分まるごとフル尺で“別作品”として展開されるという、異例の演出。
OP・EDまで作り込まれたこのパートは、もはやギャグというより、「本気でふざける」ことに命をかけたスタッフたちの魂の遊び。

そしてBパートでは一転、“推し絵師”と“読者”という距離感から始まる、創作の共鳴が描かれます。
視聴者は、笑ったあとに、思わず胸を締めつけられる。

この落差。この構造。この感情設計。
『ウィッチウォッチ』14話は、ただ面白いだけの回ではありません。
「なぜ、こんなにも刺さるのか?」──今回はその理由を、感情と構造の視点から紐解いていきます。

スポンサーリンク

🎬 Aパート|劇中アニメ『うろんミラージュ』に仕込まれた“本気のギャグ”

まるで本編とは別世界。
『うろんミラージュ 第119話「ファジー討伐‑4」』は、キャラも声優も全とっかえで展開される、完全オリジナルの劇中アニメ。

内容はというと──
「やたらとテンションが高い」「セリフはあるけど中身がない」「謎の敵が出てきてバトルが始まる」……

どこかで見たような“熱血アニメ”のテンプレを、あえて全部詰め込んだような作りです。
それもそのはず。このパートは、“盛り上がりの形だけをなぞった”メタ的なパロディ作品として仕掛けられています。

たとえば、OPは某ジャンプアニメのパロディ全開。
EDまで流れて、視聴者の「これマジで別アニメじゃん!?」という戸惑いを全力で煽ってきます。

でも、ただの“ふざけ”じゃない。

そこには、こんな問いが隠されています。
「あなたは、“ノリ”だけで盛り上がってる作品に、どこまで共感できる?」

スタッフは笑いの中に、“熱狂と虚無のギャップ”というオタクの矛盾をそっと差し込んでくる。
そして、そんな“ふざけの果て”に待っているのが──次のBパート。

笑ったあとに来る、静かな感情の揺れが、あまりにも見事なのです。

🖌 Bパート|“推し絵師日誌”が描いた、創作の共鳴と距離の変化

「うろんミラージュ」で笑い転げたその直後。

14話の後半は一転、やわらかくて、静かな日常の時間が流れます。

登場するのは、絵師クックミ(嬉野久々実)と、彼女の作品の熱心な読者・由里。
──つまり、“創る側”と“受け取る側”。

この関係性が、物語の中でほんの少しだけ変化していきます。

📚「好き」は、ただ見るだけじゃ終われない。

最初は、ただ「絵が好きで見ている」だけだった由里。
でも、ある日ふと感想を伝えてみる。
それをクックミが受け取り、そこから会話が生まれる。

ただの“ファン”と“絵師”だった二人の距離が、ほんの少し縮まっていく。

この過程が、本当に丁寧に、リアルに描かれているんです。

読んでくれて、うれしい。
見てもらえて、うれしい。
でも、「本当に伝わってるのかな?」という、創作する人間の不安。

クックミが抱えていたその気持ちを、由里の言葉がそっと溶かしていく。

“好き”って、勇気なんだ。
創作も、感想も、届けるのはちょっと怖い。
でもその一歩を踏み出せた時、誰かとつながれる奇跡が、たしかにある。

✨「推し活」は、創作する力になる。

このエピソードが素晴らしいのは、「ファンでいること」が
クリエイティブなエネルギーに変わる瞬間を描いている点です。

クックミは、ただの“うろんミラージュのオタク”だった。
でも、それを好きで描き続けることで、誰かの心を動かす側になっていく。

──これは、創作に携わる人なら、きっと誰もが通る感情。

誰かの作品に救われて、今度は自分が描いてみる。
自分の絵が、また誰かを救っていく。

「推し活」とは、ただの消費ではなく、“感情の循環”なんだ。

そんなテーマが、たった数分のBパートに、やさしく、でも力強く込められていたのです。

🔁 AパートとBパート|“ふざけ”と“真心”が交差する、感情のリズム設計

今回の『ウィッチウォッチ』14話が特別だったのは、ただAパートとBパートが対照的だったからではありません。

笑わせて、驚かせて、そして最後に静かに共感させる。

この“感情のグラデーション”の設計が、完璧だったのです。

Aパートでは、徹底的に“ふざけ倒す”。
作中作『うろんミラージュ』は、キャラもストーリーも
「それっぽさ」だけで構成された、メタギャグの集大成。

だけどそのあと、Bパートで描かれるのは、
誰もが共感できる“創作と受容”のリアルな感情。

この振れ幅は、視聴者の心を「笑い」から「共鳴」へと連れていくための布石だったとも言えます。

しかも──

「本気でふざける」と、「本気で伝える」は、どちらも“熱量”という点で同じ。
14話は、そのことを証明してくれた回でもありました。

📣 視聴者の反応|「別アニメかと思った!」その驚きと共感の声

放送後、SNSでは次のような反応が多く見られました:

  • 「MADLADS ACTUALLY DID IT. OPもEDもあるの草」
  • 「録画間違えたかと思って5秒戻した」
  • 「『うろんミラージュ』普通に観たいw」
  • 「クックミと由里のやりとりが、自分の創作原体験に重なって泣いた…」

ギャグに全振りしたAパートに爆笑する人。
Bパートの“創作共感”に刺さる人。
そして両方のリズムに心を揺さぶられた人。

この振れ幅こそ、『ウィッチウォッチ』という作品が持つポテンシャルの証明でもあります。

🔮 伏線とこれから|「うろんミラージュ」は何を意味していたのか?

一見、“ギャグ回”として突き抜けた『うろんミラージュ』。

でも、ここにも小さな“仕込み”があったのではないか──そんな視点も浮かびます。

たとえば、物語の核心とは関係ないように見えるこの作中アニメが、
どこかで「感情の模倣」「盛り上がりの型」をテーマにした伏線として、物語にリンクしてくる可能性。

そしてBパートの由里とクックミ。

「創作を通じて誰かとつながる」
その小さな種が、この先のエピソードで“新たな作品を生む動力”として成長していくかもしれません。

『ウィッチウォッチ』は、ギャグとドラマ、遊びと本気を行き来する作品。
だからこそ、そのすべてが物語の本筋とどこかで必ず重なっていく──そう信じられる作りになっているのです。

📝 まとめ|“ふざけ”の果てに、本気の共鳴がある

『ウィッチウォッチ』14話は、

  • 劇中作で“笑わせる”
  • 日常パートで“共感させる”
  • その両方を一つのエピソードに収めるという、挑戦的な構造

──にもかかわらず、見終わったあとに残るのは、
「笑った…そして、なんかすごくあたたかい気持ちになった」という素直な余韻。

これはまさに、感情の振り幅を信じ抜いた作品の勝利です。

もしあなたがこの回を観て、少しでも心が動いたのなら。

それは、あなたの中にある「誰かを想って、何かを届けたい」という気持ちが、きっと共鳴したから。

そんな14話。
ふざけきったその先に、本当の“感情”がある──
私はそう、感じました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました