『天幕のジャードゥーガル』というタイトルの「ジャードゥーガル」は、ペルシア語で「魔術師」「魔女」を意味する言葉だ。
家父長社会に生きる女性たちが、知略という“異端の力”で歴史を動かしていく物語――それがこのタイトル一語に凝縮されている。
この記事では、タイトルの語源と読み方、そして作品内でどのような意味づけがなされているのかを、原作・アニメの設定や作者トマトスープ氏の複数のインタビューをもとに読み解いていく。
なぜこの言葉がタイトルに選ばれたのかが分かると、物語の見え方がぐっと変わってくるはずだ。
まずは基本情報を整理しておこう。
- 原作:トマトスープ『天幕のジャードゥーガル』(秋田書店・WEBコミックサイト「Souffle」にて2021年9月25日連載開始)
- テレビアニメ:2026年7月4日よりテレビ朝日系アニメ枠「IMAnimation」で放送開始
- スタッフ:総監督・山田尚子氏、監督・Abel Gongora(アベル・ゴンゴラ)氏、アニメーション制作・サイエンスSARU
「ジャードゥーガル」の意味と読み方とは?語源はペルシア語
「ジャードゥーガル」は、ペルシア語で「魔術師」「魔女」を意味する単語(جادوگر/ローマ字表記では jādūgar)である。
日本語の読み方はカタカナ表記のとおり「ジャードゥーガル」でよく、現代ペルシア語の発音もこれに近い音になる。
Wikipediaの作品解説でも、タイトルの由来としてこの語義が明記されている。
英題は「A Witch’s Life in Mongol」とされており、こちらも「魔女(Witch)」の語を直接使っている。
つまりタイトルそのものが、「モンゴル帝国における“魔女”の物語」であることを、最初から読者に宣言しているわけだ。
これは単なる異国情緒を演出するための装飾的な単語ではなく、物語の主題そのものを一語に凝縮したタイトルだと考えられる。
筆者としては、この語がひらがなでもカタカナ交じりの造語でもなく、あえて音そのままの「ジャードゥーガル」として掲げられている点に、作者の強いこだわりを感じる。
なぜ「魔女」なのか?主人公シタラとドレゲネに重ねられた意味
物語の主人公は、奴隷出身の少女シタラである。
彼女は13世紀のペルシア東部・トゥースで、学者の未亡人ファーティマに引き取られ、学問の価値を知る。
しかしモンゴル皇帝チンギス・カンの四男トルイの侵攻によってファーティマを喪い、捕虜としてモンゴルへ連行されてしまう。
そこでシタラは、亡き主人の名「ファーティマ」を名乗り、学者の娘と偽ってトルイの正妃ソルコクタニ・ベキに仕えることになる。
一方、皇帝オゴタイの第六妃ドレゲネは、もともとナイマン族出身で、メルキト族長ダイル・ウスンに嫁いだ先でモンゴル帝国に攻め入られ、その後オゴタイの后となったという複雑な過去を持つ女性だ。
夫と一族を討ったモンゴル、ひいてはオゴタイ自身を、彼女は深く憎んでいる。
境遇も出自もまったく違う二人が、ジャダ石(ベゾアール)紛失事件をきっかけに出会う。
そして「知」を武器に、モンゴル帝国への復讐を誓う――ここに「魔女」という言葉が重なってくる。
強い男性優位社会の中で、正攻法の力(軍事力・血統)を持たない女性たちが、知略と知識という“見えない力”で政治の中枢に食い込んでいく。
その姿こそが、周囲の目には「ジャードゥーガル(魔女・魔術師)」と映るのではないか、というのがタイトルの含意だと筆者は考えている。
言い換えれば、このタイトルは「魔女」という言葉を、蔑称としてではなく、力の異名として再定義しようとしているように見える。
誰がモデルなのか?史実のファーティマ・ハトゥンとドレゲネ
Wikipediaの解説によれば、本作は「第2代皇帝オゴデイの第6皇后ドレゲネに側近として仕えたファーティマ・ハトゥン」を題材としている。
つまりファーティマという名の女性は完全な創作ではなく、史実にもその名が残る実在の人物なのだ。
主人公シタラという存在自体は作品オリジナルの設定である。
だが、イスラム圏出身のファーティマという女性と、王妃ドレゲネの二人が、モンゴルの王権争いに深く関与したという骨格そのものは史実に基づいている。
作品を配信する秋田書店の公式サイト「Souffle」では、本作を「後宮では賢さこそが美しさ」というキャッチコピーとともに紹介しており、大帝国を揺るがす女性ふたりの後宮譚として位置づけている。
強い家父長社会に、外部から入り込んだ女性が影響力を持つ――その事実そのものが、当時の人々にとっては“魔女的”な異常事態だったのだろう。
なお本作は2025年4月号からは月刊少女漫画雑誌『ミステリーボニータ』でも出張連載されており、2026年7月15日時点で単行本は既刊6巻、副読本として谷川春菜氏との共著『もっと!天幕のジャードゥーガル』も刊行されている。
読み解きの幅を広げたい読者には、こうした副読本や出張連載も合わせてチェックしてみることをおすすめしたい。
内モンゴルとの出会いから漫画家になるまで――トマトスープ氏の歩み
作者トマトスープ氏は群馬県生まれ。
旅行カルチャーメディア「TRANSIT.jp」が2026年7月1日に公開したインタビュー(初出は2025年7月7日、聞き手はTRANSIT編集長・津賀真希氏)によれば、氏は5歳の頃、通っていた保育園の先生たちの研修旅行に家族で同行し、中国側の内モンゴル自治区を訪れた経験を持つという。
そこで初めて地平線を目にし、馬に触れ、ゲルに泊まるという体験をしたことが、遊牧というものへの漠然とした憧れにつながったと同氏は振り返っている。
その後、美術大学に進学した際、制作の題材を探す中で改めてモンゴルを調べ直したところ、想像していたロマンチックな遊牧生活とはまったく異なる、厳しい環境を生き抜くための知恵としての移動の実態を知り、そこから本格的にモンゴルへの関心を深めていったそうだ。
同インタビューでは、大学生時代に真冬のモンゴルを一人旅した経験や、連載開始後には秋田書店の担当編集者とともに現地取材旅行を行い、ウランバートルやカラコルム遺跡、オゴタイの離宮跡とされる地を訪れたことも語られている。
こうした地道なリサーチの積み重ねが、13世紀モンゴルの風俗や生活様式を生き生きと描く原動力になっていることがうかがえる。
なぜ“敗者側”の女性を主人公に選んだのか?作者が明かした制作意図
同じTRANSITのインタビューの中で、トマトスープ氏は主人公選びの理由についても語っている。
自身が最も惹かれる時代はモンゴル帝国の拡大期だが、支配者側の視点で物語を描くと勝ち続ける展開になり葛藤が生まれにくいと感じたため、あえてモンゴル帝国に侵攻された側、抵抗し逆境に飛び込んでいく側の人物を主人公に据えたという趣旨の発言をしている。
これは『天幕のジャードゥーガル』だけでなく、同氏が新書館「WINGS」で連載中の『奸臣スムバト』(モンゴル帝国の侵略に揺れるジョージアの地方貴族が主人公)にも共通する姿勢だと明かされている。
また2026年7月4日公開のアニメイトタイムズによるインタビューでは、トマトスープ氏は「学ぶこと」の意味を問い続ける創作動機についても語っており、知を得ることは「自分で決める」ための力なのではないか、という考えを明らかにしている。
シタラが学問という“知”を唯一の武器として帝国の中枢に食い込んでいく展開は、こうした作者自身の問題意識と地続きにあると読める。
筆者としては、これらの発言が複数の媒体・複数の時期のインタビューにまたがっている以上、一言一句を断定的に引用するのではなく、趣旨として紹介するほうが誠実だと考え、あえてそのようにまとめている。
世界が注目するタイトル――海外メディアの評価と同ジャンル作品との比較
ここでひとつ、これまであまり語られていない視点を加えておきたい。
Wikipediaの記述によれば、中東の国際メディアであるアルジャジーラは2026年7月10日付の記事で、本作について、激動の歴史的時代を再現するだけでなく、モンゴル帝国の中心で生き残りを図るイスラム教徒のペルシャ人少女の物語を通じて、戦争がもたらす影響への人間的な視点を提示していると評したという。
日本国内の少女漫画としてスタートした本作が、中東発の国際メディアからも作品の視点そのものを評価されている点は、「ジャードゥーガル」というタイトルが単なる日本国内向けの異国趣味の装飾ではなく、当事者性を意識した作品であることの傍証になっていると筆者は考える。
また、女性が知略や教養を武器に権力構造の内側へ食い込んでいくという構図自体は、後宮を舞台にした国内外の歴史・ファンタジー作品にも共通して見られるモチーフである。
その中で『天幕のジャードゥーガル』が独自なのは、主人公を「征服する側」ではなく「征服された側」に置いたうえで、なお“魔女”という異名を誇りとして引き受けていく構造にあると、筆者としては評価している。
単なる後宮の権力争いものではなく、敗者・被支配者の視点からタイトルそのものを再定義しようとしている点に、本作ならではの新しさがあるのではないか。
考察:タイトルが示す“もう一つの魔女狩り”
ここからは筆者個人の見解になるが、「ジャードゥーガル」という一語には、単に「主人公たちが呪術的な力を使う」という意味ではなく、もっと構造的なメッセージが込められていると考えられる。
歴史上、力を持たないはずの立場の人間が知恵や情報を武器に権力へ影響を及ぼしたとき、周囲はその存在を正当な政治力とは認めず、しばしば「魔女」というレッテルで異物化してきた。
シタラとドレゲネは、軍事力も血統も持たない。
持っているのは、教養と、他者の弱みや力関係を読み解く観察眼だけである。
それでも彼女たちが帝国の中枢を揺るがしていく展開は、「正当な権力構造の外側から歴史を動かした女性たち」を、あえて「魔女」という言葉で肯定的に描き直そうとする試みのようにも読める。
過去に世界各地で行われた魔女狩りの多くが、実は共同体の秩序からはみ出た知識人・異端者への排除だったという指摘は、歴史学の分野でもたびたびなされてきた。
本作のタイトルは、そうした“魔女”という言葉の負のイメージを踏まえたうえで、あえてそれを主人公たちの誇りに変換しているのではないか、と筆者としては感じている。
今後の展開としては、ドレゲネが第六妃から第二妃へ昇格し、オゴタイ家とトルイ家の対立がさらに深まっていく過程で、シタラとドレゲネの「知略」がどこまで通用するのか、あるいはどこかで破綻を迎えるのかが焦点になるだろう。
個人的には、二人が“魔女”であり続けられるかどうかは、単なる策略の成否ではなく、互いへの信頼が最後まで保てるかどうかにかかっているように思う。
その意味で、「ジャードゥーガル」というタイトルは、物語が進むほど重みを増していく仕掛けになっていると考えられる。
読者が観終えたときに「ああ、あの言葉にはこういう意味があったのか」と腑に落ちる――そんな回収のされ方をするタイトルではないかと、筆者は期待している。
まとめ
「ジャードゥーガル」はペルシア語で「魔術師」「魔女」を意味する言葉であり、読み方もそのまま「ジャードゥーガル」でよい。
家父長社会の中で知恵と知略によって権力構造に食い込んでいく主人公シタラとドレゲネの姿を象徴するタイトルである。
背景には、史実のファーティマ・ハトゥンやドレゲネという実在の女性たち、そして作者トマトスープ氏が幼少期の内モンゴル訪問から積み重ねてきたモンゴル史への関心、「征服された側」をあえて主人公に据えた制作姿勢が重なっている。
さらに海外メディアからも当事者性のある戦争の物語として評価されている点を踏まえると、単なる異国情緒の演出ではなく、「正史から排除された者が、いかにして歴史を動かしたか」という主題そのものを、タイトルが一語で語っていることが見えてくる。
よくある質問
「ジャードゥーガル」の読み方は?意味は何ですか?
読み方はカタカナ表記のとおり「ジャードゥーガル」です。ペルシア語(جادوگر/jādūgar)で「魔術師」「魔女」を意味する単語で、現代イランなどで使われている言語に由来します。
タイトルの「魔女」は誰を指しているのですか?
主人公シタラ(ファーティマを名乗る奴隷出身の少女)と、オゴタイの第六妃ドレゲネの二人を指すと読み取れます。
英語タイトルはありますか?
「A Witch’s Life in Mongol」という英題が設定されており、こちらも「魔女」の語を直接用いています。


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